地球儀を回して世界100周

職場や旅先から世界をほんの少しだけチラ見してみる

白い巨塔に潜む魔物

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人間生きていれば多少の病気やケガはつきものである。まして慣れない外国で暮らすことになったら、ちょっとした体調不良なんてしょっちゅうだ。とりあえずは母国から持ってきた薬を飲むなりして何とかするけど、それでも治らなければいよいよ病院へ行くしかない。

 

日本語学校で働いていると学生が体調不良に見舞われることはよくあるんだけど、ほとんどの学生は病院に行きたがらない。「お金がかかるから」と「言葉が通じないから」と言うのが理由の2トップだろう。そんなことより早く行ってくれというのがこちらの本音ではあるけど、確かに異国の地で治療を受けたり出された薬を飲んだりというのは、生きた心地のしないことではある。特に歯医者なんて私なら絶対に嫌だ。

 

私が日本語教師になって最初の現場はインドネシア、その次がフィリピンだった。特にインドネシアはそもそも海外へ行くのが初めてという状態だった。病院デビューは着任後1週間もしない頃だった(幸いインドネシアで病院にかかったのはこの一度だけだった)。日本語が通じる人がいる病院で、また保険にも入っていたのでその辺りの心配は必要がなかった。でも問題は薬である。海外の薬が日本人にとって強すぎるというのはよく聞く話。そしてものの見事に私も出された胃薬を飲んでひっくり返った。

ちなみにフィリピンでも胃の調子が悪くなり、何種類か薬を飲んだことがあったけど、ほとんどの薬は大丈夫だったので全部がダメという訳ではない。ただし偶然インドネシアで飲んだのと同じ薬が出された時は目が回ってしまったので、つまりはその薬が私と合わないと言う話である(ちなみに日本でも普通に処方される薬でした…)

 

診察を受けるだけでもドキドキものだけど、入院なんてしようものならもう笑うしかない。こちらはフィリピンでの話。入院したのは日本でいう聖路加病院で、設備はきれいだし日本語の医療通訳の人もいてそういう面で困ることはなかった(フィリピンは英語がよく通じるので、最低限のコミュニケーションが取れるというのもある)。

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ただ困るのが食事だ。写真は病院食である。とにかくご飯の量が多い。おかずとのの割合が7:3ぐらいである。しかもフィリピンのお米だから、日本人の私にはパサパサしていてこのままでは食べづらいことこの上ない。毎食コショウが付いていたので(多分おかずの肉用)それをかけて食べた。マンゴーやバナナがテテーン!と出てくるところはフルーツ好きの私にはありがたかったけど。

 

日本の病院とは違い、面会や食べ物の持ち込みに関してはとてもゆるかった。向かいのベッドの付添い人は食事タイムのたびに外出し、ジョリビー(フィリピンのメジャーなファーストフード店)の袋を抱えて帰ってきた。おかげで病室のゴミ箱を見ると、いつでも赤いハチと目が合う有様だった。

 

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(ジョリビー。でも撮影したのはベトナムホーチミン)

 

あと注射をするのも豪快で、カウントダウンとともにズブズブっと身体に針を刺された。入院中にずっと注射針が入っていることは日本でもよくある話だけど、日本の場合はプラスチックとか柔らかい素材の針だろう。それがフィリピンでは昔ながらの金属の針だった。それも利き手である右手の甲に3日間。不便この上ない。部屋の掃除のたびに確認のサインを求められると言うのに!

 

私の場合、近くに世話をしてくれる人がいたので実のところそこまで大変ではなかったけど、これが異国の地で病院にひとりきりとかだったら発狂ものだっただろう。

 

やっぱり体調管理は万全にするに限る。

それでもダメな場合は大ごとになる前に病院へ!