地雷を踏んだらサヨウナラ
今年の正月はカンボジアへ行った。世界三大仏教遺跡で朝日を見ることを人生の目標としている私にとって、アンコールワットは憧れの土地だった(インドネシアのボロブドゥールは達成済なので、残りはミャンマーのバガンのみ!)。
アンコール遺跡群があるシェムリアップは日本からの直行便がない。カンボジア入国にはビザも要る。遺跡の入場料、べらぼうに高い(1日券が3600円ぐらい)!でもとりあえず時間やお金を掛ければ、今では誰でもこんなアンコールワットの写真が撮れる。
最近、一ノ瀬泰造さんの「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読んだ。インドシナ半島が騒がしかった1970年代前半、クメール・ルージュに支配されたアンコールワットをカメラに収めることに青春を掛け、散っていった青年の日記や書簡をまとめた本。
何がそこまで彼をアンコールワットに駆り立てたのだろう。金と名誉が欲しかったのかもしれないし、ただどうしようもなく「アンコールワット」という被写体に惚れ込んでしまっただけなのかもしれない。理由は本人にしか分からないけど、遺された文章や写真からイメージする彼は、とても親しみを感じられた。彼の言葉と、彼の捉えた被写体の表情には「共産主義だろうが、資本主義だろうが、みんな仲良くやろうぜ」的な心が映し出されていたから。
もちろん戦場カメラマンという仕事はタフな仕事で、この本の写真にはかなり生々しいものも含まれている。心身共にタフであると同時に、心から平和を願っている人でないとやっていけない仕事だと思う。
彼が亡くなった後にベトナム戦争が終わり、ほぼ同時期にカンボジアはポル・ポト政権による大虐殺という悲劇を体験した。今回の旅行ではプノンペンに30分ほどしか滞在しなかったので、トゥールスレンやキリングフィールドに行けなかったことが悔やまれてならない。
子供たちにせがまれわざとフィルムが入っていないカメラで撮影するエピソードでは「今だったら撮ってあげたんだろうな」とか、時間がかかったり届かなかったりした手紙もメールなんだろうな…と思うと、この時代に写真というものが持っていた威力やセンセーショナルさも感じられた。だからこそ彼は命を賭してアンコールワットを撮ろうとしたのかもしれない。
この本の最後にはアンコールワットへと続く道の、当時の写真がある。手入れがされていないことはありありと見て取れるけど、鬱蒼とした木々や道の雰囲気は今とそれほど変わらないんだなと思った。泰造さんは一度目のカンボジア滞在でもアンコール遺跡を目前にしてクメール・ルージュに捕まっている。今では誰にも止められず、アンコールワットへ向かうことができる…
いや、止められた人がまさにここにいる。私だ。うっかりチケットコントロールをスルーし、横の道を自転車で走り抜けようとしたところ、警備員に笛を吹かれ止められてしまった。
泰造さん、平和な今の世の中でもアンコール行きに待ったをかけられる人がいるでよ!あははは。
(現在のアンコールワットへと続く道)