普通の人間が一番恐ろしいというお話
2019年のお正月休みにカンボジアへ行ったんだけど、いろいろな意味で忘れられない旅だった。年末はベトナムのホーチミンにいたのでそこで年を越して、1月2日の朝から1日かけてバスでアンコールワットのあるシェムリアップへ移動した。島国育ちの私にとって、初めての陸路での国境越え。このルートではベトナムのモックバイという街からカンボジアのバベットという街へ抜けることになる。
モックバイでゆるゆるな出国審査を受け、再びバスへ。このバーの向こうはカンボジア!
バベットで入国審査をして、無事国境越え終了。
ほんの数キロの緩衝地帯を経て入国したカンボジアは道路の舗装も心許なく、車が通ると砂が巻き上がるような道が続いていた。ベトナムはというと風景こそのどかだったけれど道はきれいだったので、体感で20年ぐらい時代が遅れていると感じさせられる。
数年前までは船で渡っていたというメコン川にかかる橋。渡ってしばらく走ると、プノンペン市内に入る。
プノンペンは道路も綺麗だし、高いビルの建設も進んでいて、だけどその道をトゥクトゥクが爆走していたり街中にパゴダがあったりして、いかにも東南アジアの国の首都といった感じ。
(バスの窓から見た王宮と独立記念塔)
プノンペンでバスを乗り換え、シェムリアップまではまたまた悪路が続く。途中休憩はあるものの、とにかくお尻が痛い。早朝にホーチミンを出て約13時間、シェムリアップに到着する頃にはすっかり真っ暗だ。バスターミナルで客待ちをしているトゥクトゥクを拾ってホテルへ行くとその日はルームサービスで晩ご飯も済ませてしまう。
(トゥクトゥクでホテルに向かう道中。排気ガスにやられまくり)
もちろんメインイベントといえばアンコール遺跡なんだけど、この国を訪れてみてびっくりするのがその登場人物の若さだ。ホテルやレストランのマスターっぽい感じの人さえ、私とそう歳が変わらないと見えた。もちろん世界一の高齢社会からやってきた私にしたら、平均年齢が若く感じられるのは当然のこと。それはカンボジアだけではなくインドネシアでもフィリピンでもそうだけど、お年寄りはちゃんと存在しているものだ。でもカンボジアは極端なまでに高齢者という括りに入る人がいない。
しばらく街を歩いていて、気づいた。
あ、みんな殺されたのか、と。
第二次世界大戦の後に独立したカンボジアだけど、隣国ベトナムがしていた戦争の煽りを受けたこともあり内政は非常に不安定だった。1970年代に入り、ベトナム戦争が終わった頃にこの国で誕生したのがクメール・ルージュによる政権だった。歴史の教科書に積み上がった頭蓋骨の写真が載ってた、あれだと思った。1975年から1979年の短い間に極端な共産主義に走った結果、餓死したり病死したりする人が続出し、また次から次へと粛清という名の虐殺が行われた。そして大人はすでに(政権が言う)悪い思想に染まっているという理由で殺されることが多く、子供を重用したために政権が崩壊した時、カンボジア人口の実に80%が14歳以下の子供だったという。
約40年前に15歳以上だった、55歳以上の人を現在のカンボジアでなかなか見かけない理由がこれだ。
雄大なアンコール遺跡を見たのは感動的だったし、ちょうど乾季だったので天気にも恵まれてアンコールワットで美しい朝日を見ることができたけれど、この国の極端な若さは帰国してからもずっと「カンボジア、最高!」という旅行気分にどこか暗い影を落とした。
というわけでこの旅以来、いくつかカンボジアやその内戦に関する本を読んだ。
学校の授業では第2次世界大戦以降の歴史はとてもあっさり終わってしまうので、クメール・ルージュとか、その指導者ポル・ポトとか、先ほどの話に出た積み上げられた骸骨の写真(キリングフィールドにあるもの)とか、断片的な知識しかなかった。何なら、ポル・ポトの顔さえ記憶になかったぐらい。本を読んで、世界最悪の独裁者としてよく名前の出るヒトラーやスターリンはもちろん、同じアジア圏の毛沢東や金日成に比べても、随分と地味な男がトップに立っていたのだと思った。見た目からしてカリスマ性抜群とか、悪知恵が働きそうとか、一切ない。いかにもその辺にいるおっさんって感じだし。そもそも本人があまり人前で威厳を示すことを好まず、裏で権力を握ることをよしとしていたそうだ。頭の中身の方も、フランスに留学までしてエリートとしての教育を受けたものの成績は芳しくなかったらしい。ただの色々拗らせたおっさんやん、と思ったのは言うまでもない。しかも留学先で共産主義に染まっていくんだから、たちの悪いことこの上ない。
でもそんな「普通のおっさん」が政権のトップに立ち、後世まで残る大虐殺をやってのけたということが一番恐ろしいことだと思う。
ベトナム戦争との兼ね合いや、国内の内戦でカンボジアの運命は揺れに揺れ、どういうわけか大した政治手腕もなさそうな(それだけならまだしも原始共産主義とかいう危ない思想の持ち主でもある)おっさんの手に一国の運命が握られてしまうことになった。何の罪もない人々が政治犯として捕まり、拷問から逃れるために嘘の自白をする羽目になり、「犯罪者」は指数関数的に増えていく。そして看守として収容者の管理をするのは政権の洗脳を受けた何も知らない子供たちだ。特殊な力のある人間はどこにも出てこない。つまりそれはカンボジアだけでなく、どこの国でも起こりうるということだ。特別に優れた人間や根っからの悪党は滅多にいるもんじゃないが、「普通の人間」はどこにでもいるからだ。
クメール・ルージュ政権は4年ほどで終わりを迎えたが、カンボジアの内戦は1990年ごろまで続いた。
ベトナムから国境を越えた時、20年ぐらい時代を遡ったようだと思ったけど、まさに1970年ごろからの20年が現在でも違いとして残っているのだろう。悪夢のような4年間に教育も文化も否定されたせいでカンボジアの伝統文化は根絶やしになりかけ、現在でも一定以上の年齢層では識字率が低いという。その辺りもこの国の発展が非常に遅れてしまった一因だろう。クメール・ルージュの支配から解放されても、新たに国を作っていくだけの知力がある人間は残されていなかったのだから。「取り返しがつかない」とは、まさにこのためにある言葉だ。
コロナの影響で中断されていた一ノ瀬泰造さんの写真展、再開するそうだ。
今東京に行くのはやや気がひけるが、見てみたいなぁ。