地球儀を回して世界100周

職場や旅先から世界をほんの少しだけチラ見してみる

普通の人間が一番恐ろしいというお話

2019年のお正月休みにカンボジアへ行ったんだけど、いろいろな意味で忘れられない旅だった。年末はベトナムホーチミンにいたのでそこで年を越して、1月2日の朝から1日かけてバスでアンコールワットのあるシェムリアップへ移動した。島国育ちの私にとって、初めての陸路での国境越え。このルートではベトナムのモックバイという街からカンボジアのバベットという街へ抜けることになる。

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モックバイでゆるゆるな出国審査を受け、再びバスへ。このバーの向こうはカンボジア
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バベットで入国審査をして、無事国境越え終了。

ほんの数キロの緩衝地帯を経て入国したカンボジアは道路の舗装も心許なく、車が通ると砂が巻き上がるような道が続いていた。ベトナムはというと風景こそのどかだったけれど道はきれいだったので、体感で20年ぐらい時代が遅れていると感じさせられる。

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数年前までは船で渡っていたというメコン川にかかる橋。渡ってしばらく走ると、プノンペン市内に入る。

プノンペンは道路も綺麗だし、高いビルの建設も進んでいて、だけどその道をトゥクトゥクが爆走していたり街中にパゴダがあったりして、いかにも東南アジアの国の首都といった感じ。

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(バスの窓から見た王宮と独立記念塔)

 

プノンペンでバスを乗り換え、シェムリアップまではまたまた悪路が続く。途中休憩はあるものの、とにかくお尻が痛い。早朝にホーチミンを出て約13時間、シェムリアップに到着する頃にはすっかり真っ暗だ。バスターミナルで客待ちをしているトゥクトゥクを拾ってホテルへ行くとその日はルームサービスで晩ご飯も済ませてしまう。

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トゥクトゥクでホテルに向かう道中。排気ガスにやられまくり)

 

もちろんメインイベントといえばアンコール遺跡なんだけど、この国を訪れてみてびっくりするのがその登場人物の若さだ。ホテルやレストランのマスターっぽい感じの人さえ、私とそう歳が変わらないと見えた。もちろん世界一の高齢社会からやってきた私にしたら、平均年齢が若く感じられるのは当然のこと。それはカンボジアだけではなくインドネシアでもフィリピンでもそうだけど、お年寄りはちゃんと存在しているものだ。でもカンボジアは極端なまでに高齢者という括りに入る人がいない。

 

しばらく街を歩いていて、気づいた。

あ、みんな殺されたのか、と。

 

第二次世界大戦の後に独立したカンボジアだけど、隣国ベトナムがしていた戦争の煽りを受けたこともあり内政は非常に不安定だった。1970年代に入り、ベトナム戦争が終わった頃にこの国で誕生したのがクメール・ルージュによる政権だった。歴史の教科書に積み上がった頭蓋骨の写真が載ってた、あれだと思った。1975年から1979年の短い間に極端な共産主義に走った結果、餓死したり病死したりする人が続出し、また次から次へと粛清という名の虐殺が行われた。そして大人はすでに(政権が言う)悪い思想に染まっているという理由で殺されることが多く、子供を重用したために政権が崩壊した時、カンボジア人口の実に80%が14歳以下の子供だったという。

約40年前に15歳以上だった、55歳以上の人を現在のカンボジアでなかなか見かけない理由がこれだ。

 

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雄大なアンコール遺跡を見たのは感動的だったし、ちょうど乾季だったので天気にも恵まれてアンコールワットで美しい朝日を見ることができたけれど、この国の極端な若さは帰国してからもずっと「カンボジア、最高!」という旅行気分にどこか暗い影を落とした。

 

というわけでこの旅以来、いくつかカンボジアやその内戦に関する本を読んだ。

学校の授業では第2次世界大戦以降の歴史はとてもあっさり終わってしまうので、クメール・ルージュとか、その指導者ポル・ポトとか、先ほどの話に出た積み上げられた骸骨の写真(キリングフィールドにあるもの)とか、断片的な知識しかなかった。何なら、ポル・ポトの顔さえ記憶になかったぐらい。本を読んで、世界最悪の独裁者としてよく名前の出るヒトラースターリンはもちろん、同じアジア圏の毛沢東金日成に比べても、随分と地味な男がトップに立っていたのだと思った。見た目からしてカリスマ性抜群とか、悪知恵が働きそうとか、一切ない。いかにもその辺にいるおっさんって感じだし。そもそも本人があまり人前で威厳を示すことを好まず、裏で権力を握ることをよしとしていたそうだ。頭の中身の方も、フランスに留学までしてエリートとしての教育を受けたものの成績は芳しくなかったらしい。ただの色々拗らせたおっさんやん、と思ったのは言うまでもない。しかも留学先で共産主義に染まっていくんだから、たちの悪いことこの上ない。

 

でもそんな「普通のおっさん」が政権のトップに立ち、後世まで残る大虐殺をやってのけたということが一番恐ろしいことだと思う。

ベトナム戦争との兼ね合いや、国内の内戦でカンボジアの運命は揺れに揺れ、どういうわけか大した政治手腕もなさそうな(それだけならまだしも原始共産主義とかいう危ない思想の持ち主でもある)おっさんの手に一国の運命が握られてしまうことになった。何の罪もない人々が政治犯として捕まり、拷問から逃れるために嘘の自白をする羽目になり、「犯罪者」は指数関数的に増えていく。そして看守として収容者の管理をするのは政権の洗脳を受けた何も知らない子供たちだ。特殊な力のある人間はどこにも出てこない。つまりそれはカンボジアだけでなく、どこの国でも起こりうるということだ。特別に優れた人間や根っからの悪党は滅多にいるもんじゃないが、「普通の人間」はどこにでもいるからだ。

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クメール・ルージュ政権は4年ほどで終わりを迎えたが、カンボジアの内戦は1990年ごろまで続いた。

ベトナムから国境を越えた時、20年ぐらい時代を遡ったようだと思ったけど、まさに1970年ごろからの20年が現在でも違いとして残っているのだろう。悪夢のような4年間に教育も文化も否定されたせいでカンボジアの伝統文化は根絶やしになりかけ、現在でも一定以上の年齢層では識字率が低いという。その辺りもこの国の発展が非常に遅れてしまった一因だろう。クメール・ルージュの支配から解放されても、新たに国を作っていくだけの知力がある人間は残されていなかったのだから。「取り返しがつかない」とは、まさにこのためにある言葉だ。

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コロナの影響で中断されていた一ノ瀬泰造さんの写真展、再開するそうだ。

今東京に行くのはやや気がひけるが、見てみたいなぁ。

 

やっぱりバリ島って面白い!

インドネシアの人口は2億人ぐらい。そのうち90%がイスラム教徒だと言われている。次に多いのがカトリック教徒。ジャカルタには東南アジア最大のモスク・イスティクラルモスクとカテドラルが道を挟んで向かい合っている風景が見られる。実際はどれかを信じていることにして土着の宗教を信じている人もいるそうだけど、インドネシア国民は6つの宗教(イスラム教、カトリックプロテスタントヒンドゥー教、仏教、道教)のどれかを信仰することが決められている。何と銀行口座を開くときにも信仰している宗教を記入しなければならない。日本人は宗教について聞かれると「宗教は信じていない」と答えてしまいがちだけれど、宗教には道徳的観念も含まれているのでそれがないと言ってしまうのは結構でマズいことになってしまったりもする。宗教が違うというのは、そこまで問題ではないらしい。

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バリ島にはイスラム教徒が少なく、代わりにヒンドゥー教徒が大半を占めている。特にウブドでは街のあちこちで信仰が日常に息づいている姿を見ることができる。上の写真のようなお供物を備える女性を見かけることも多い。きっとホテルでも朝にスタッフがお供えを置いて回る姿を見かけることだろう。市場で買い物をすると、渡したお札で商品をお清め?したりする(商売の神様と商品に感謝ということだろうか)。

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お寺に行くと、お祈りをしてもらっておでこにお米をつけてもらったり、プルメリアの花を髪に飾ってもらえたり。場所にもよるとは思うけれど、観光地になっているようなところであれば異教徒でもやってもらえます。これはゴア・ガジャだったと記憶しているけど、この時は写真を撮っただけで私が実際に体験したのはタナ•ロット寺院でした。

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ティルタ・エンプルでは沐浴も(入るには腰に巻くサロンが必要)。水が出てくるところはたくさんあるけれど、中には喪に服している人だけが使う場所とかもあるらしいので、近くにいる人に教えてもらう方がいいかも(聞かなくても教えてくれた)。雨季のそこまで気温が高くない時期なので入った後は寒かったです…基本的に移動のバンはエアコンよく効いているし。笑

 

ここからは去年行った時の写真。

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タマン・アユン寺院。ジャティルイに行った時のツアーで行きました。

この時の運転手さんがバリ・ヒンドゥーについて色々教えてくれて、王族のものや公共のお寺はもちろん、各家庭にもお寺(というか祠)があったりするらしい。あとツアー当日がちょうどバリの暦でお葬式をするのにちょうどいい日だったらしくて、葬列も見ることができました。日本の葬列のイメージとは違って割と賑やか。

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バリ旅行で行く場所の定番にもなっているタナ・ロット寺院。本当はスミニャックの方が近かったんだけど、日程の都合でウブドから行きました。ツアーや貸し切りバンで行けば、おそらく潮が引いて渡れる時間に連れて行ってくれると思います。とは言え足元は波をザブザブ食うので、滑りにくい靴で行った方がいいかも。私は普通に何回か滑りました。笑

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夕陽に照らされるタナ・ロットを撮りたかったけど、雲がかかってしまいイマイチな仕上がりに。

アボカドシェイク飲みながら粘ったけどな〜こればっかりは自然相手のことなので仕方がない。

1時間半ほどかけて、ウブドに戻りましたとさ。

とめどない棚田愛を語る

うちの父の実家は農家だ。何なら私の苗字にもしっかり田の字が入っている。

だからなのかは知らないけど、田んぼを見ると落ち着く。

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(ちょっとお洒落なナシゴレン

インドネシア人も日本人と同じでお米を愛してやまない人たちである。というか、多分彼らのお米愛は日本人以上だと思う。なんて言ったってマクドナルドに行こうと、ケンタッキーに行こうと、白いご飯とのセットがあるぐらいですから。日本でも最近ライスバーガーが売っていたりするけど、それとは違う。フライドチキンとセットでご飯である。私にとっては想像するだけで胃酸が上がってゲップが出そうになる感じだが、周りを見渡すと大体みんなチキンとライスのセットを選んでいる。何なら「君はどうしてご飯を食べないんだ!」と突っ込まれたこともある。恐るべし、インドネシアのお米愛。これは東南アジアの国である程度共通しているので、インドネシアに限らず、フィリピンやタイもそうだけど。

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もちろん稲作はしているんだけど、実は山だらけの島であるバリ島。平地が少ないので収穫量を増やそうと思うと工夫が必要だ。そこで生まれたのが山の斜面を段々に切り開いて、そこに田んぼを作る棚田。日本でも山がちな四国では見られる風景だけど、よくこれだけ水利や何やらを工夫して田んぼを作ったものだと感心させられてしまう。

写真はウブドから車で15分ぐらいのところにある、テガラランの棚田。ウブド周辺のツアーだと大抵コースに入っていると思う。私も初めてウブドに行ったときは貸し切りバンで行ったんだけど、ちょうど刈り取りが終わったところだったのが残念だった。笑

そしてバリ島にはもう一つ有名な棚田が。

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ウブドから車で1時間半ほど、多分クタとかレギャンから行っても同じくらいかかる場所(要は交通の便が非常に悪い)にあるジャティルイの棚田。こちらは世界遺産に認定されているそう。テガラランに比べると圧倒的にスケールが大きい。見渡す限り一面田んぼなので、ここに立つと思わず声が出ます。そして今度はちゃんと田んぼに水が張ってある時期に当たった。笑やる事と言えば田んぼを見ながら歩くくらいで、特にこれと言ってないのですが、緑の中を歩いているとそれだけで癒されます。カエルさえ出会わなかったら(この世で嫌いな生き物はセミとカエル)。

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棚田を見ながらランチもできます。お米作ってるのを見ながら、食べているのは小麦からできているピザ。笑

もちろん、昼間でもビンタンビールは外せません!

 

そんな棚田好きの私ですが、次に行きたいと思っているのがこちら。

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(画像、Wikipediaより)

お国は変わりまして、フィリピンのルソン島(マニラがある島)にあるコルディレラの棚田。ここも世界遺産

マニラから拠点となるバナウェの街まで車で10時間近くかかるんだけど行ってみたい。ルソン島の北の方って他にも魅力的な場所が多いんだけど、いかんせんマニラからの交通の便が悪すぎて。ゆっくり時間をとって巡りたいところ。ある程度山道を歩かないといけないので、しっかり体力をつけていかないといけない。

最後の方はフィリピンの話になりましたが、まだまだバリ話は続きます。

 

芸術の村・ウブド

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バリ旅行の話はトランベンでのダイビングの話を書いたきりになっていたので、どこにも行けない今の時期に振り返りながら書くことにします。

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ウブドは空港から車で2時間弱。最初こそ広い道があるけれどだんだん山道になっていくので、そこそこハードな旅になります。そしてジャカルタほどではないとはいえ、バリ島内もそこそこ渋滞は激しいので着く頃にはクタクタになること必至。特に初めてウブドに行った時はクリスマスイブの夜で、ハイヤーの運ちゃんが行き先を聞いて露骨に嫌な顔をしたぐらいの混み具合だった。

 

そんなウブドといえば芸術の街と言われている。この周辺にアトリエを持っている絵描きも多いというし、何と言っても観光客の私たちが毎日楽しむことができるのが伝統芸能だ。

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バロンダンス。日本の獅子舞的な。

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ウブドの中心には王宮があるんですが、そこで伝統芸能に酔いしれることだってできる。

そしてここはインドネシアでもヒンドゥー教徒が大半を占めるバリ島だから容易にビールが手に入る(ジャカルタでアルコールが手に入る店は限られている)!しかもショーの飲食物持ち込みOK!!と言うわけで飲みながら見ないわけにはいかないのです。とはいえマナーには気を付けましょう。

 

私はウブドに2回行っている。バリといえばビーチのあるリゾートという事で有名だけど、海から離れているウブドが一番好きっていう人、実は結構多いんじゃないでしょうか。私もそう。去年久しぶりにバリへ行くとなって、ダイビングという目的があったのに前半の予定に無理やりねじ込んでしまったぐらいだ(結局ウブドには2泊3日した後、スミニャックへ移動した)。そう言えばジュリア・ロバーツが出ていた「食べて、祈って、恋をして」で出てくるのもウブドだったなぁ。

 

エスニック感全開のエリアだから、欧米系の人をよく見る気がする。

故にレストランもいろいろな国の料理があるし、ヨガが盛んなのもあってかビーガンの店も多い。

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なんて事のないミーゴレン(焼きそば)だってこの通りお洒落。

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程よくローカル感のあるワルン(食堂)もあったりする。

有名なイブ・オカのバビ・グリン(豚の丸焼き)。

 

去年は一番時期の良い9月だったけれど、実は雨季に入ってから行くのも悪くない。朝のうちに市場へ行ったりして街をぶらぶらして、適当な店でお昼ご飯を食べて、ホテルに戻ったところで雨がザーッと降ってきて、夕方にそれが止んだら伝統芸能を見に行ったり、ご飯を食べに行くために出かける。そんなのんびりした時間の過ごし方ができます。

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はぁ、書いててまた行きたくなってきた。

というわけでしばらくバリ話が続きます。

 

マニラって意外と見どころがあるんです!という話。

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後1週間ぐらいはエルニドでダラダラしたいという思いに後ろ髪を惹かれつつ、リオ空港から飛行機でマニラへ。

マニラに住んでいたのでニノイ・アキノ空港は何度も利用しているけれど、この時は初めてターミナル4に降り立った。他のターミナルと違って狭くてびっくり。ターミナル間の行き来の面倒さもだけど、全体的にもうちょっと施設が充実しているとありがたいんだけどなぁ。ちなみに一番マシなのがターミナル3。日本からの便だとセブパシフィックを使えばターミナル3発着なので、特に乗り継ぎがある場合はセブパシが良い。

 

そしてマニラといえば渋滞。笑

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空港から中心部へ向かうにはEDSA(エドサ)という道路を通るけど、あまり大きい道路がないせいでとにかく車が詰まる。住んでいたときに働いていた場所と家とは15分ぐらいの距離にあったけれど、1時間かかるなんてことはザラだった。旅行や出張でマニラに来るならお金を払って高速に乗ってもらうとマシかもしれない。ちなみに、今回のホテルは住んでいたところから近くだったので、時間がかかることは覚悟していた。

 

でも、今回は信じられないぐらいガラガラ…笑

動画は撮ったけれど写真は撮り忘れてしまった。もう1つ大きい道路であるロハス通りもガラガラ。大晦日、こんなに車が走っていないなんて!そんな日にマニラシティツアーを申し込んでいた私は完全に勝ち組だった。

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BGCというハイクラスが集まるエリアのすぐ近くにある米軍墓地。フィリピンはアメリカ領だったこともあってこんな場所がある。

ここに埋葬されている人が戦った相手というのは太平洋戦争の時の日本軍。東南アジアの中でも特に日本の近くにあるフィリピンが戦争で大きな影響を受けたことは言うまでもない。

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サンチャゴ要塞も元々はスペイン領時代に周りの攻撃から守るために作られたものだけど、太平洋戦争の時には捕虜の収容所として使われていたそう。そのため生々しい弾痕が今でも残されていたりする。ガイドさんが日本人の私に気を遣いながら説明してくれた。

 

そして今回嬉しかったのは、マニラ大聖堂の中に入れたこと!

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教会とか、モスクとか、もちろん神社仏閣って落ち着くんだな〜。

フィリピンは国民の80%以上がカトリック教徒。なので朝は教会の鐘の音が聞こえてきたりもします。

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ステンドグラスもきれい。

 

今回は残念ながら外観を見ただけになったけれど、マニラ大聖堂のすぐ近くには世界遺産のサン・オウガスティン教会も。

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住んでた頃に行った写真が残っていたので何枚か。

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心が洗われます。

 

サンチャゴ要塞、マニラ大聖堂、サン・オウガスティン教会は全てイントラムロスという地域にあります。

マニラで観光するといえばこの辺りでしょう。後はモールで買い物とか。モールオブアジアとかSMメガモールとか大きすぎて、行った後に日本のモールへ行くとものすごく小さく感じます。笑

 

そして帰国の便が元日の朝だったので、そのままマニラで新年を迎えました。

とりあえず花火の音、笛なのかクラクションなのかよくわからない音でうるさい。笑

特に花火はいろんなところで上がっているのでなかなか大変なことになります。住んでた時はコンドミニアムの目と鼻の先で花火を上げていたので、テロかと思うぐらいすごい音が聞こえていました。今回は発射場所からは離れていたので、音に関してはマシだったけれども。

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フィリピン、特にマニラのイメージといえば貧困と治安や衛生環境の悪さだろうか。

それはそれで間違いじゃない。コンビニの前に銃を持った警備員が配置されているなんてよくあることだし(フィリピンでは銃が合法)、私自身ストリートチルドレンにたかられたことだってある。スモーキーマウンテンでゴミを拾って生活せざるを得ない人がいるかと思えば、同時にとてつもない財をなしているような人も存在するのがフィリピンという国。仕事で住むとなればおそらく治安の良いエリアに住むことになるけど、そうなると見上げんばかりの高層ビルに囲まれることになるし、キレイなショッピングモールでブランド物を買うことだってできる。ただすべての面で先進国と同じようにできるかといえばもちろんそうではなく、例えば富裕層が行くような病院でも適切な検査や治療を安全に受けることができなかったりもする。渋滞のせいで空気も悪い。そして何故か時々トイレの便座がない。

 

ダイナミックで、良くも悪くもカオスな国。だから、日本人からするとおっかないとしか思えないドゥテルテ大統領が、この国で支持されているのは何となくわかる。それがいいことなのかどうかは別として、トップダウンで動かないとどうにもならないことが多すぎるからだ。

 

 

 

エルニドの海を遊び尽くす!

私が敬愛する旅人のたかのてるこさんが「リゾート好きはバリかハワイから始まって、最終的にフィリピンにたどり着く」って言ってたけど、そのフィリピンの中でも最後のほうにたどり着きそうなエルニドのお話、続き。

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エルニドへ来てすることといえばアイランドホッピング、そしてダイビング。

私は移動日を除いて3日間エルニドにいたけれど、そのうち2日間はダイビング、残り1日はアイランドホッピングツアーに参加した。

 

ダイビングをするのはバリ島以来なので3ヶ月ぶり。ここでダイビングをするというのは、仕事でフィリピンに行く前にかかりつけの歯医者さんから「フィリピンならエルニドと(セブ島の)モアルボアル」と聞いていて、エルニドに行こうと決めた時から考えていた。そしてインターネットでいろいろ調べてみたところ、El Dive(https://www.el-dive.com/ja/)というオーナーが日本人のダイビングショップがあったのでそこにお願いした。

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2日間潜ったけれど、1年間で一番透視度が落ちる時期だということで何十メートルも先が見える!という状況ではなかった。でもそこまで深いところまで潜らない(せいぜい20メートルぐらい)こともあって、エア持ちの悪い私でも普通に1時間近く潜っていた。とにかく魚の群れの規模が大きい。そしてカメが多い!どういうわけか海の中で力尽きているカメさんもいたけれど。そして追いかけてみるとわかるんだが、カメは意外と早く泳ぐ。笑

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1チームは4人ぐらいで、日本人が多かったのもあって(2日目は1人だけ香港人男子がいた)和気藹々とした雰囲気だった。香港人男子は石垣島で潜ったことがあるらしくて、マンタが見たかったけど見られなくて残念だった〜って言ってた。初日は体験ダイビングのフランス人男子とイタリア人女子のペア(本人たち曰く付き合ってはいないらしい)がいて、日本のカルチャーが好きらしくて結構盛り上がった。チームの日本人はみんなマニラに住んでいたり(住んでいたことがあったり)、留学できている人ばっかりだったので、フィリピンネタが濃い!現在マニラのマカティに住んでいるという男子は初めてニューイヤーをマニラで迎えるらしくて、盛り上がりが半端ないという話をしつつ、私も年越しはマニラで迎えることになっていたので楽しみにしていた。

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そしてランチは船の上でフィリピン料理のビュッフェ!

大好きなチキンアドボが2日間ともあったので喜び勇んで食べた。ムール貝みたいな貝もあったし、ナスの炒め物みたいなものもあったし、食後はもちろんトロピカルフルーツ。

ダイビングもセッティングはやってもらえるので機材を背負って飛び込めばOKだし、至れり尽くせりで快適なダイビングでした。またエルニドで潜りたいな〜

 

そしてアイランドホッピング

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こちらは「パラワンの海からhttps://palawan-traveling.com/」でお願いして、日本から予約していました。一番人気のツアーAでは無く、泳ぎまくりのツアーCに参加。もちろん普通のシュノーケリングタイムもあるんだけど、ツアーCではシークレットビーチとヒドゥンビーチという船から泳いで岩穴を通り抜けてしかいけないビーチが2つ含まれているので、必然的に泳がなければならない。どうしても泳ぎが苦手という人は船のスタッフがちゃんと引っ張っていってくれるので大丈夫(ライフジャケットは着ているし)。私は豪快に飛び込んで泳いで行きましたが、帰りは結構波に押し流されて大変でした…笑

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12月のフィリピンはそこまで暑くなくて、普通に過ごす分には非常に過ごしやすい時期なんですが、ダイビングにしろシュノーケリングにしろ、水に浸かった後は熱が奪われているので結構寒くなったりします。濡れないようにガードした上着やタオルを用意しておいた方がいいかと。エアコンも扇風機もある部屋に泊まっていたけど、エアコンは切って寝たし、扇風機はずっと洗濯物の方向にロックしてました。笑

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(夕方になると静かになるBacuit Bay)

3日間はあまりに短いよーーー。

というわけで再訪を心に誓い、大晦日の朝に飛行機に乗ってマニラへと戻ったのでした。

 

 

 

フィリピン最後の秘境・エルニド

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プエルトプリンセサからアンダーグラウンドリバーを経由して、丸一日かけエルニドへやってきた私。実はマニラから飛行機でエルニドへ行くことはできるので、必ずしもそんな大変な思いをする必要はないのだけど(実際、帰りは私も飛行機で帰っている)。ただプエルトプリンセサ→アンダーグラウンドリバー→エルニドのツアーがあったおかげで、1週間ほどの旅行でも両方に行くことができた。

 

私が泊まったのは1島1リゾートのホテルではなく、エルニドタウンにあるゲストハウスだった。部屋は決して広くないがシャワーはお湯が出たし、エアコンもテレビも付いているので夜寝るだけなら十分である。wi-fiはロビーでしか使えないけど、ポケットwi-fiを持っていたので特に問題なし。ただ、部屋にはこんな2つ目のロボットみたいなものがある。

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エルニドは停電が多い。というわけで、ホテルの部屋にはこのような発電機があって停電しても部屋の照明をつけられるようになっている。私が持っている4年ぐらい前のガイドブックには1日の3分の1ぐらいは電気が通っていないようなことが書いてあるけど、よく考えるとその時間はほとんどの観光客がアイランドホッピングやダイビングに出かけているので確かめようがない(そのためエルニドには夜だけ開いている店が多い)。でも一つもないと書いてあったATMはちゃんとあったし、クレジットカードを使える店もあったので、ここ数年で便利になったのは間違い無いだろう。ちなみに滞在中、一度だけ停電があった。停電自体は何度も経験しているので慌てず騒がずスマホの充電器を抜いて、発電機の電源をオンにした途端に電気が復旧するという短いものだったけれど。

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エルニドタウンは徒歩でも15分あれば端から端まで歩けるほど狭い。そして土産物屋さんもグロッサリーも結構夜遅くまで空いていて便利だし、人通りも多いので割と安心して歩ける。観光客はほぼ欧米人。日本人は仕事でマニラに住んでいるとか、英語留学で来ているとか、フィリピンに慣れている人がほとんど。ちなみに、韓国人もセブ島に留学していると思しき人が多い(セブの語学学校は韓国資本のところが多いので)。というわけで、同じフィリピンでもエルニドとセブでは来る観光客の層はかなり違うと感じた。確かに初めてのフィリピンだったらセブへ行く人がほとんどだろうし、その方が不便は間違いなく少ない。セブシティは意外に治安がよろしくないけど、リゾートだったら基本的には安心だし。

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欧米人に人気があるリゾートということで、当然ピザはある(私は現地の料理に飽きたら、なぜかいつもピザを選びがち)。石窯で焼く本格的なタイプで、次から次へとお客さんがやってくる人気の店だった。私が選んだのはマルゲリータ。そしてサンミゲルビール

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お洒落なビーチバーでカクテルを飲むなんてこともできます。フィリピンはビールが安いので住んでた時はほぼビール一択だったけど、Palawan breezeというカクテルにしてみた。

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パスタ、ハンバーガーと欧米か!という感じの食事が続きます…

というのも昼はダイビングやアイランドホッピングの船でフィリピン料理のビュッフェを食べるので、夜は別のものを食べたいなぁという気分になったりするのです。フィリピン料理自体は日本人の口には合うと思うのでご安心を。オーガニックを売りにした店を見かけるのはヨーロピアンが多いからでしょうか。多分ベジタリアンやビーガン向けの店もあったように思う。お腹がいっぱいになったら適当にエルニドタウン内をぶらぶらして、ホテルの近くのマッサージ屋でリラックス。

 

海の話を一切書いてないけど、エルニドタウンはなかなか居心地のいいところでした。

ダイビング、アイランドホッピングの話はまた次回。